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無能であるにも関わらず、優秀を振舞う人間の3つの特徴

アラーム

無能であるにも関わらず、有能であるかのうように立ち振る舞う人は、世の中に大勢いる。
しかし、優秀な経営ボードや上司等のエースクラスのディシジョンメーカーから見ると、相手の本質を一瞬で見抜いてしまう。
そのため、自分の実力以上に自分をアピールしても意味がない。そればかりか、かえって「実力もないのに虚勢を張って」と映ってしまい、自分の評価を落とすことにさえなってしまう。
自分の実力を、実力通りに相手に伝えることを心掛けることが必要なのだが、そのためには「無能な人」の特徴的な振る舞いを知っておくことも、一助になるかもしれない。

今日は、「優秀に振舞っているが、本当は無能な人」(以下、無能な人)に共通する特徴を紹介していく。

発言が薄っぺらい

役職が上位になればなるほど、意思決定一つ一つの重要度も大きくなってくるし、意思決定の数自体も増えてくる。そうなると必然的に「生産性」を求めるようになる訳で、いつまでも一つの案件に熟考して立ち止まっていることはできない。
こういったディシジョンメーカーに対して、周囲の人間がすべき言動は、いかに「シンプル」に「本質的」に「具体的」な意見を提言することである。そして、その意見はディシジョンメーカーの意見に対して「同意」であっても「反対」であっても、ディシジョンメーカーの意思決定行為に対して、サポート的でなければならない。(つまり、その発言がディシジョンメーカーの意思決定を促進し、その質やスピードを上げるものである必要がある)

それにも関わらず、無能な人が取る行動は、「無駄な発言が多く、簡単なことも複雑に表現」し、「発言の責任から逃れるために本質論を敢えて回避」し、「発言は抽象的で、如何様にでも受け取れる発言を自身たっぷりに発言」する。
一見すると、頭の良さそうな発言に見えるし、あまり考えていない人からすると何となく納得してしまうことが多いので、扱いに困る。ディシジョンメーカーの頭が良くない場合は、こういった無能な人の発言に飲まれてしまうこともある。
このような「無能な人」の発言は、テレビのコメンテーターに良く見られる。本質に触れず、それっぽい事を長々と話し、どのようにも受け取ることができる内容の発言で責任を回避する、というコメンテーターはマスコミから好かれるのだろう。

閑話休題。
普通、上級のディシジョンメーカーは優秀な人間である。そういった人から見ると、無能な人の発言は、一瞬にして見破られてしまう。そして、瞬間的に無能な人を「使えない人」としてカテゴライズする。以降、無能な人の発言は一切取り合うことはない。
もしかすると、その後「無能な人」が有効な発言をするかもしれないが、無意味な発言の中から有効な発言を探し出すこと自体が生産性を低下させるし、有効な発言だけをしてくれる優秀な部下は他にいるので、無能だと判断した人は、「永遠に無用な人」に格下げで良いのだ。
こうなってしまっては、自分を復権することは相当難しい。

時間ばかり無駄にかかり生産性が全く無い発言、つまり量より質的な発言は周りに迷惑がかかると同時に、自分の価値を一気にゼロにする。

海とヤシの木

誰でも思いつくことや誰かが言ったことを、自慢げに話す

上級のディシジョンメーカーにとって価値のある発言は、「自分の思いついていない着眼点」「50%50%で拮抗している選択肢に対して、決定打となる新しい視点」等である。

無能な人は、誰でも思いつくような当たり前の意見を、さも自分が考え抜いたかのように自身満々で話す。「そんなもの、誰でも思いつく。聞いた時間が無駄だった」と思った時点で、その人は無用だ。

さらには、優秀な人間の発言に乗っかり「私もそのように思っていました」「ちょうど同じことを考えていたところでした」等、全く意味のない発言を繰り返す人間も多い。
普段から有効で斬新な発言をして、ディシジョンメーカーから絶大な信頼を得ている人の場合、「私もそのように思っていました」という発言にはとても大きな価値がある。しかし、「私もそのように思っていました」としか言えない人間には、何の価値もない。ディシジョンメーカーは多数決をしたい訳ではないのだ。

上級のディシジョンメーカーは、普通の人間が思いつく以上のアイデアを思いついているし、思考の深さも深い。
こういった人に対して、普通レベルの意見を言ったところで「浅いレベルまでしか考えられない」「思考の幅が狭い」と思われるだけである。
つまり、意思決定という重大な仕事をする際には無用な人間だ、というレベルにランク付けされる。

自分の得意な領域だけでしか勝負しない

人間誰でも、ある程度得意な分野を持っている。
長く仕事をしていたこと、好きなこと等、他の人よりも詳しい分野はあるだろう。
ところが、これが重要な会議の場になった場合、自分の得意分野になると自慢げに話すのだが、そうでない分野になると急に無口になる人間がいる。

しかし、ディシジョンメーカーは一つの分野のことだけを考えている訳ではない。意思決定に必要なあらゆる多様な分野について、「有機的に」思考する必要がある。つまり、複数の分野があらゆる方向性に結合して初めて意味を成すのであって、専門分野だけでは意思決定に際しては意味がないのである。

SEやプログラマも、クライアントからの要望通りに作ることが出来る人間と、クライアントのビジネスまで踏み込んで、より良い提案してくれるという付加価値をもった人間では、明らかにその市場価値は異なる。
実際にこれを実現しようとすると、クライアントのビジネス環境を分析しておく必要があるし、相当の勉強をしなければならない。しかし、優秀なSEやプログラマは、こういったことを実践できている。だから引き合いも強く、年収数千万で引き抜かれることもザラである。
要するに、意思決定の場で必要な人間は、専門分野を他の分野に展開して論理を構成できる人間なのだ。

特に、この得意分野でしか活躍できない無能な人は、得意分野があるだけタチが悪く、ここで書いてあることを理解できない人が多い。
しかし、これが分かっていないと、他とのつながりを無視して自分の得意分野だけをダラダラと話し続けてしまい、結局は意思決定という重大な仕事をする際には無用な人間だ、というレベルにランク付けされてしまう。